去年まで増井光子さんが園長を勤めていましたが、2010年7月にイギリスで馬術大会の競技中に落馬して、亡くなりました。私は増井光子さんの著書をよく読んでいましたので、ズーラシアでお会いしたときは、とても嬉しかったのを覚えています。
増井光子さんは上野動物園、多摩動物園でも園長を勤めていました。パンダの人工受精に成功したことでも有名です。ズーラシアは、増井光子さんの動物への思いやりが感じられる動物園になっています。
私の訪れた日は三連休ということもあり、イベントやふれあい動物園が行われていました。
今日は新潟市美術館に行って来ました。北海道の涼しさとは打って変わり、新潟は晴れて、蒸し暑い天気でした。
アール・ブリュット・ジャポネ展という、企画展を行っていました。
パリ市立アル・サン・ピエール美術館で開催された展覧会の一部を紹介していました。
この展覧会は独学者や子ども、障がいのある人たちが制作した、自由で純粋な作品が展示されていました。
平日のため、人の少ない静かな美術館で、作品に向き合っていると、作者の息遣いまで感じられました。魂の叫びのような作品もあり、胸が痛く苦しくなる作品もありました。画面上で自由に純粋な気持ちを表現したものもあり、リズミカルで楽しいものもありました。
そして、新潟市美術館 コレクション展では版画の展示を行っていました。こちらは、収蔵作品の展示です。
皆さんご存知の棟方志功、池田満寿夫などたくさんの作品が展示されていました。版画にはたくさんの技法があり、木版、銅板、リトグラフ、シルクスクリーンどの技法もみることができました。美術鑑賞のあとは、スポーツクラブに行って来ました。船内では、どうしても運動不足になってしまうため、久々に身体を動かしました。
とても綺麗なスポーツクラブで、マシーンも使いやすく、お風呂も露天風呂までついて充実していました。
夕飯は大好きなお刺身を食べました。仕事中は生ものを避けていたのですが、我慢の限界。思いっきり食べちゃいました(笑)写真の内容で980円、海が近いので新鮮です。
今、演奏の仕事で北海道に来ています。今日は残念ながら遠くが霞んでましたが、涼しく過ごしやすい一日でした。
お休みを利用して、アイヌ民族博物館に行ってきました。
移動中、馬が放牧されている牧場もあり、初めて見る景色は広大な自然に溢れていました。
北海道には独自の言語と文化をもつ先住民族、アイヌの人達が暮らしていました。現在も数万人が暮らしています。アイヌ民族博物館は、その文化を保存し、公開する施設です。
ここでは、国の重要無形民俗文化財のアイヌ古式舞踊を観ることができます。
アイヌ古式舞踊は茅葺きの家の中で行われていました。
アイヌの楽器ムックリ(口琴)は、自然を映し出す音色で、自然を愛したアイヌの人々の思いが感じられました。
私が一番興味を持ったのは、トンコリという弦楽器です。五弦琴とも呼ばれています。楽器を抱くように構え、両手を使い奏でます。やさしく、愛情深い音色がしました。
ムックリというアイヌの楽器は実際に作り、鳴らしてみるという体験もできました。私も挑戦してみました。
ここでは、ヒグマと北海道犬の飼育もしており、北海道犬のソラ君に会うことができました。ソラ君のお父さんはあのコマーシャルで有名な「お父さん犬のカイ君」です。赤い首輪をしてお父さんそっくりでした。
ソラ君は活発に動き回るので、なかなか写真を撮るのは大変でした。
携帯以外でも写真を撮ったので、後ほどアップしたいと思います。お楽しみに!!
北海道の文化や自然に触れ楽しい一日でした。
出船まで時間があったので、みなとぴあ新潟市歴史博物館に行ってきました。
新潟県は7月28日からの集中豪雨により、水害にあいました。私は演奏のため、8月2日から新潟県に来ていますが、どうなることかと心配していました。途中、あちらこちら、道路に泥が残っており、冠水したことがうかがえました。
歴史博物館に行くと、ジオラマや映像で新潟県をわかりやすく紹介していました。新潟は古くから「水の都」と呼ばれ、水害を克服し、水の恵みを享受し発展してきました。
ミュージアムシアターでは三本の映像が紹介されていました。私は「あまのてぶり」という映像を観ました。初代新潟奉行川村修が描かせた風俗絵巻「あまのてぶり」を基に、幕末の新潟をわかりやすく映像化していました。祭りのにぎわい、もてなしの文化、働く女性など新潟の文化と伝統をわかりやすく勉強できました。新潟は女性がしっかりしていて、働き者だったため、独り立ちした女性が多くいたそうです。現代に似ていて、男性に依存しない自立した女性が多く、それを奉行が嘆いたなどというエピソードも残っているそうです。
展示で、私の印象に強く残ったのは、二つありました。
一つは北前船についての展示。北前船という呼び方は近畿地方の人の言葉で、新潟では回船(かいせん)と呼んでいたそうです。船の模型と共に展示してありました。この船が物資だけでなく、唄も運んだのかと思うと感慨深いものがあります。九州の牛深ハンヤ節が、船頭さんたちにより伝えられ、新潟で「佐渡おけさ」、津軽に入り「津軽あいや節」に変化しました。
もう一つは新潟県出身の芸能人のレコードを展示していました。
小唄勝太郎さんのレコードが展示してあり、「佐渡おけさ」、「東京音頭」などを聴くことができました。色っぽい唄声に聴き入ってしまいました。
隣をみると、寿々木米若(すすきよねわか)さんの「佐渡情話」も聴くことができました。こちらは浪曲師です。私は、浪曲も大好きな芸能の一つで、数話、iPodに入れています。
この「佐渡情話」は佐渡おけさの歌詞で始まり、佐渡に伝わる島の娘と他国の男との悲恋の物語を語ります。民話と民謡から新たなジャンルの物語が生まれるなんてとても素敵だなと思いました。
新潟を訪れたのは今年で3回目ですが、なかなか地域の博物館など訪れる機会がなかったので、今回このような機会に恵まれ、少し新潟という場所を近くに感じることができました。
先月6月18日に銀座にある「若山美術館」の『ふたたびの墨外展』で津軽三味線のライブを行いました。
今回の企画は、東北関東大震災を受け、沢山の方が亡くなり、また被災されたことを想い、私たちに出来ること。”祈り”をテーマに行いました。その一環の中で津軽三味線を演奏させていただきました。沢山の方にお越しいただき、義援金にもご協力いただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。
さて、田中墨外さんとはどんな絵を描く人か。この方は、きり金という仏像などに細く切った金を貼る技法を持った方で、彼の描いた仏画には、この技法が駆使されています。和蝋燭を灯すと、きらきらと優しく輝き、美しい光となり仏様が浮かび上がります。
密教美術の作品 に囲まれながらの演奏は、今、流行りのパワースポットのような空間でした。
演奏中、和蝋燭の炎が三味線の音圧を受け、大きく伸びたり、縮んだりするのがとてもきれいで、また舞台側から見ても、作品の数々が美しく輝いていていました。蝋燭での自然の明かりの中で見る金の輝きは、蛍光灯の下で見るものとは全く違う印象を受けました。
本来、美術品である為、保存の観点からも、また、建物の消防法からも、蝋燭で見ることなど決してできないことなのですが、所蔵されている遺族の方のご好意と美術館側が環境活動の一環としてトウキョウミルキーウェイという、電気を消して夜空を見ようという企画に参加したことで実現しました。
津軽三味線は古くは目の不自由な方が生計を立てる ために門付芸人となり三味線を弾き、語り、唄いました。厳しい生活の中で伝承されてきた津軽三味線の音色は生きるうえでの喜びや悲しみが表現され、また人々の願いや祈りもきっと込められて演奏されていたものだと思います。
震災で被災された多くの方が早く生活を取り戻せるよう、また、心の痛みが少しでも和らぐよう、心から願わずにいられません。そんな想いを込め演奏させていただきました。
今回、集められた義援金は、福島にあるアクアマリン水族館に若山美術館の館長さんの手により直接7月15日に水族館に届けられました。この日、水族館は再オープンしました。
多くの子供たち、また大人も水槽を泳ぎ回る海の生き物たちから元気をもらってほしいと願わずにはいられません。